旧制八尾中学・府立八尾高等学校同窓会東京支部

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剛速球について

高17期 齊藤浩氏
 栗田工業株式会社 顧問

今年は数年ぶりに、大阪代表の大阪桐蔭高校が春の甲子園で優勝した。
逆転劇あり、ファインプレーあり等プロ野球にはない新鮮さがあり、高校野球ほど魅力のあるスポーツはないだろうと思う。

ところで、我らの八尾高校が春夏を通じて10回も大阪代表として出場し、さらには夏の大会で 準優勝したこともあることを記憶されている方はどれだけおられるだろうか。
私は、体育会系ではなくスポーツとは無縁であったが、やはり母校のこととなると一味違ってくる。

昔話にはなるが、1966年(昭和41年)に今でも強烈な印象が残る出来事があるので、それについて書き記してみたい。

この年は、ビートルズが初来日し、日本の人口が初めて1億人を突破したなど、ここから始まる高度経済成長の幕開けだったように記憶している。私は大学に入って2回生になったばかりで、友人から、「おい、大阪大会で次に勝てばベスト4だぞ、とにかく応援にいこう」と誘われ 日生球場(森ノ宮駅そばで、大阪城まじか)に駆け付けた。当然、応援席は両高とも学生やOBで埋まっている。

試合前の練習が始まったが、相手の高校はそのころ大阪ではあまり有名ではない大阪学院だと いうことで、我らの応援席は楽観ムードいっぱい。次の相手はどこだろうかなどのんきな話題に沸いていた。
その時相手の投球練習が始まった、あまり大きくはないががっちりした体格の投手が第1球を 投じた途端「ドスン」というキャッチャーミットの音が響き渡った。応援団は「???」である。
詳しく説明する必要はないと思うが、試合はトントン拍子に進み、わが校は三振の山、私の記憶では ボールにバットがかすった(とても打ったとは言えない)のは二打のみで、それも当然ファール。
相手側は、ピッチャーで四番だったエースがたぶん4打数4安打だったと思うが、全部が長打で結果は七回コールドで敗戦した。
ここまで書けばお分かりだと思うが、相手は江夏 豊投手、この年は大阪代表にはなれなかったものの、ドラフトで阪神タイガースに入団、20世紀最高の投手の一人と呼ばれるようになったのはご存じの通り。
現在はスピードガンがあり、スコアボードに球速が表示されるが当然その時はそんなものはない、「とにかく早い」としか言いようがなかった。

わが母校の活躍ではなく、相手の剛速球の話になってしまったが、これが「縁・絆」となって、いまだに熱烈な「トラキチ」で、今年も優勝だけではなく、宿敵ジャイアンツに勝ち続けることを信じてドームに駆け付けたいと思う。
もちろん、母校の野球部の活躍を心から祈り、いつでも応援に馳せ参じる準備はできている。

余談になるが、現在神奈川県に住み、神奈川大会の予選で、当時一年生だった横浜高校の松坂大輔投手 の初登板も見る機会があったが、たぶん江夏の剛速球の方が早かったと思っている。



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